2006年02月04日

快適バスの旅

ホイアンを出発し、順調にバスは走る。
う~ん、それにしてもベトナムのバスは何て快適なんだろう。ツーリストバスだからかもしれないけど、座席は壊れてないし、大音量で音楽も流れてない、トイレ休憩もちゃんとある。思いっきりリクライニングして爆睡した。


P1000625.jpgニャチャンに朝6時に着き、ホーチミン行きのバスに乗り換える。
すると隣り座ったベトナム人青年が話しかけてきた。彼はホーチミンに住む大学生で、テト休暇を使ってお姉さんが住むフエまで遊びに行ってたらしい。彼の英語は私と同じぐらいのレベルだったので、とても分かりやすかったし気が楽だった。時には、筆談も交えて日本やベトナムのことについて話した。
私より5歳も年下で、見た目も弱そうな彼だったけど、びっくりするぐらいジェントルマンだった。私がお腹すいたと言えばビスケットをくれ、休憩で食事した時にも自分が誘ったからと言ってお金を受け取ってくれなかった。もちろん、食べ物のことだけじゃない。暑いと言えばクーラーやカーテンに気を配ってくれ、きれいな景色が見えると写真を撮れと教えてくれた。年下なのに、いろいろ気を使わせてしまった。
でも彼のおかげでニャチャンからホーチミンまでの9時間は全然苦にならなかった。

夜7時過ぎホーチミンに到着。彼に別れを告げ、バスから降りると東南アジア特有のじっとりとした空気が体にまとわりついてきた。あ~これこれ。私が求めていたのは、この湿気むんむんの暑さだ!
がぜん、やる気が出てきた。意気揚々と宿確保の為、デタム通りを目指す。
ところが宿が見つからない。面白いぐらい見つからない。時間が遅いのもあるが、またもやテト休暇が影響してるらしい。はしからはしまで探してやっと見つけた部屋は夜10時まで使えないと言うが、このままさまようよりはまだまし。
そこに決め、荷物を置き食事に行こうとぷらぷらしていると、フエで会った日本人にばったり再会。偶然は続くもので、その彼と部屋をシェアしている人もホイアンでちょっと話をしたことがあった。
そんなんで3人で夕食に行くことになった。日本人3人集まりゃ話しも弾むわけで、10時なんてあっという間に過ぎてしまって、しまいにゃ宿の門限にも遅れてがっちり戸を閉められてしまった。ドンドン戸をたたいて何とか入れてもらい、無事一日が終了。
ほんとに長~い一日だった。

2006年02月03日

ホイアン見物

今日は本格的にホイアン見物をすることに。
ホイアンは、16~17世紀にかけて東西貿易で栄え日本人町も造られた。しかし江戸幕府の鎖国政策で日本人町は衰退してしまった。その後は華僑が移り住んだため、町並みは日本というよりは中国っぽい。でも、他の街とは一味違う独特の雰囲気があって趣がある。日本でいうなら京都みたいな感じかな。

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チケットを買って、博物館や古い家屋などを見て歩いた。

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日本人によって架けたれたと言われる日本橋。

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この町はとってもいい雰囲気なのに、バイクと人が多すぎる!たぶんテト休暇の影響が大きいと思うのだが、ただでさえ狭い道に、バイクと人とシクロが入り混じってすごいことになっている。あぁ~あ、もう少しすいてたらもっと浸れたのになぁ・・・

ホイアン最後の夜に、カオラオを食していると、隣りのテーブルから「こんにちは」と日本語で声がかかった。
いつもなら無視するんだけど、ツーリストらしき欧米人にベトナム人のじいさん、ばあさん、おっさん、にいちゃんという奇妙な組み合わせに、つい興味をそそられてしまった。そして一緒に食事をすることに。
欧米人ツーリストはアメリカ人で、ベトナム人の兄ちゃんはバイタク、じいさんとおっさんはそこのレストランの従業員。ばあさんは謎のままだった。そして私。なんで一緒に食事してるのか意味分からなかったけど、一人で寂しく食事するより全然楽しいのでよしとしよう。
そしてアメリカ人ツーリストが全部奢ってくれた。ラッキー♪

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食事が終わるとバス停に向かった。夜行バスでホーチミンへ、24時間の超長時間移動だ。

2006年02月02日

ホイアンでカオラウにはまる。

P1000766_1.JPGフエではほとんど何もしてないけど、雨ばかり降っているこの街にあまり長居する気にはなれなかった。
フエからバスで4時間。古い町並みが残っており、世界遺産にも登録されているホイアンに向かった。

ホイアンに着くとまずは宿探し。フエの宿で紹介してもらったGHに行くもFULLで断られる。仕方なく隣のGHに入るもここもFULL。なんでーー!どうやら、テト休暇でベトナム人もホイアンに観光に来てて混んでるみたい。やっと見つけたところは、窓もなくてじめっとした部屋だった・・・
とりあえずお腹がすいたので、ホイアン名物のカオラウを食べてみることに。カオラウとはうどんのような太麺の上にチャーシューと揚げワンタンと香草がのっていて、下の汁と混ぜながら食べる。
これ、めちゃ旨い!!豚チャーシューも旨いし、揚げワンタンのパリパリ感も最高!
私はすっかりはまってしい、ホイアンに滞在中に3回も食べてしまった。

2006年02月01日

宿でダラダラ過ごす

P1000765_1.JPG昨日の捻挫は氷で冷やしたのが良かったのか、一晩でだいぶ良くなっていた。でも今日は念のためゆっくり過ごすことに決めた。
とりあえず、近くの食堂で朝食をとったあと、宿のくつろぎスペースでマンガ本を読み始めた。今泊まっている宿は日本人宿なので大量のマンガ本がおいてある。その中で私は「ゴリラーマン」を読み始めた。7巻を過ぎたあたりで、お尻が痛くなってきたの市場に出かけることに。スーパーや市場に行けばその国の物価も分かるし、やっぱり市場はエネルギッジュで見ていて面白い。
いつもだったら歩ける距離だけど、今日はバイタクを使う。それにしても、フエは都会だ。素朴なラオスから来たからよけいそう思ったのかもしれない。バイクや車が途絶えることなく走っている。そんな中に、シクロ(自転車の前に座席の付いた3輪タクシー)が走っていて観光客に声をかけてる。ベトナムの乗り物といったらシクロだし、乗っても良かったのだが、なぜか乗る気にはなれなかった。こんな都会の街にシクロは全くマッチしてなかったからだ。

市場は、テトのせいでほとんど閉まっていた・・・
なので、路上のプリン屋さんでプリンを食べて、みかんを1キロ買って帰った。宿に帰ってからも、ゴリラーマンに夢中。フエまで来て何してんだか。

2006年01月30日

フエ初日に・・・

ベトナムへ来たからにはフォーを食べないと。テトでどこの店も休みだったが、やっと見つけたお店のフォーは牛肉も柔らかくてめちゃおいしかった。

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その後、街をぷらぷらしていると
やってしまいました…
私らしい失敗を。

ちょっとした段差を降りようとしたらコケてしまった。しかもかなり派手に。泥んこになるはベトナム人に笑われるわで、最悪。しかも足めちゃめちゃ痛い。とりあえず、宿に戻って一息つくと余計痛さが倍増した。それでも、気合で世界遺産にもなっている王宮を見に行った。

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王宮、だだっ広い。結局半分も見ることができなかった。
宿に戻る頃には、もう1人で歩くことさえ出来なくなっていた。
薬局を探すもテトでどこも休みで、やってなーい。テトって何なんだよとちょっとムカついた。
とりあえず、宿で氷を貰って冷やしておいた。

2006年01月29日

ベトナム入国

P1000564_1.JPG今日でラオスとはお別れか・・・
とりあえず、国境の町ラオバオへ。この旅始まって初めての一人国境越えで、若干びびる。
タイのイミグレを一番乗りで通過してしまったのはいいが、ベトナムのイミグレは離れているらしく見当たらない。不安になって、人に聞いてみるが英語を全く理解してくれない・・・。不安で悲しくなった。

何とか、ベトナムのイミグレまでたどり着いて入国。そこには、フエ行きのバスが頻発しているはずだった。

いたのは、おんぼろバンが一台だけ。
今は、ベトナムの旧正月(テト休暇)で、それが影響しているらしい。しかも、かなり吹っかけられた挙句、フエへは行ってくれず、途中のドンハでおろされた。なんとか、バスを乗りついてフエに着いたのは、夜7時過ぎだった。
ラオスでは、毎日良いお天気だったのに、ベトナムに入ってから霧みたいな雨が降りだしていた。気持ちまで凹んできた。

宿を探す気になれず、今日は近くの綺麗めのホテルへ。シングル8$、この旅では最高額。今日は、身も心も疲れたからよしとしよう。

(画像は、ベトナムの水田。お天気悪いでしょ)

2006年01月28日

天国の町サワンナケート

サワンナケートの「サワン」とは、ラオス語で「天国」という意味がある。ところが、1970年代の内戦で、米軍の猛爆撃にあい、天国は地獄に一変した。
らしい。

今はそんな面影もなく、ラオスによくある町のように、のんびりした所だ。観光名所もない。
ベトナムに抜ける為の、中継地点としてちょっと寄るだけの気持ちでいたが、あまりの居心地の良さに、ビザが切れるぎりぎりまで滞在してしまった。
特に何がある訳じゃない。普通の町なんだけど、私にはぴったりはまってしまった。
宿の近くには、メコン川が流れていた。それは、何だか実家の近くを流れる利根川みたいで落ちついたし、ご飯も安くて旨かった。(これまで、結構ボラれていたことが判明)ちょっと歩けば、市場もあり、そこでカフェノムイエン(コンデンスミルク入りコーヒー)を飲んだり、その辺の子供とじゃれったり、夕方になればメコンのサンセットを見たりと、とても穏やかでのんびりした時間が過ぎていた。何もないけど、退屈することはなかった。

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ラオスビザが切れる。でも、正直言ってまだラオスにいたいという気持ちが大きくなっていた。南部の方は、電気も通ってなくて、星がとても綺麗なんだって。あ~かなりラオスに未練がある。(画像は、トゥクトゥクにしばりつけられた鶏達。メコン川)

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かなり迷った挙句、ベトナムに行くことを決断した。南部は、次回にとっておこう。

2006年01月24日

首都ビエンチャンでの退屈な日々

ルアンパバーンからバスで10時間、首都のビエンチャンに着いた。
田舎の方から下ってきたせいか、とても都会に感じる。
欧米人向けのレストランやパブ、みやげ物屋が乱立していて、「ここ、本当にラオス??」と目を疑ってしまった。しかも、今まで見ることのなかった信号まであった。
とはいっても、人口50万人とアジアの中でもかなり小さな部類に入るらしい…

物価も高いし、よくボラれた。私にとっては、あまり居心地のいい町ではなかった。
有名な観光名称だけおさえて、早々に発つことにした。

画像は、内戦で戦士した兵士の霊を慰める為に建てられた戦没者慰霊塔パトィーサイ。
その、屋上からみた道路は閑散としている。

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ビエンチャンのシンボルでもある、タートアルンは造りが荒く、近くで見るとしょぼい。
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2006年01月21日

ルアンパバーンのお坊さん

ルアンパバーンでは、たくさんのお寺を見て歩いた。
そしてたくさんの、お坊さんと話をした。
私は、出家をしているお坊さんは女性と話をしてはいけないのだとばかり思っていたが、
お寺の前を通る度にがんがん話しかけられた。
初めは、日本語や英語を教えて欲しいなんて言っていたが、たぶん女の子と話をしたいだけだと思う。
若い彼らにとって、禁欲生活は難しいのかもしれない。
私も暇があると、彼らの話し相手になった。
話を聞いていると、僧侶学校に入学したから出家したらしい。どうりで不真面目なわけだわ。
お酒も飲むし、タバコも吸う。しまいにゃ、托鉢※で頂いたものをご馳走してくれたりもした。
ちょっと罪悪感あったけど、おいしく頂いてしまった。これが現実なんだよなぁ。

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※托鉢とは 修行僧が、鉢を持って市中を歩き、他人の家の前に立って施しの米や金銭を受けて回ること。
(右画像は托鉢をする僧侶達)

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2006年01月20日

ラオスの長距離バスのトイレ事情

今日は、ルアンナムターからルアンパバーンへ10時間の移動。
そこで、今回はトイレネタを。
ラオスに日本でいうトイレ休憩というものはない。
トイレで用を足せるのは、せいぜい食事休憩の1回ぐらいだ。
じゃあ、それまで我慢できなかったらどうするか??

草むらに入ってするしかない。
男性は問題ないとしても、女性は抵抗があると思う。
ラオス人女性は、シンという巻きスカートを履いているのですんなり済ませているが、外国人ツーリストははほとんどがパンツ。
草むらの奥深く入っていかないと、後ろから見られてしまう。
だからといって、あまり深く入りすぎると、バスにおいてかれてしまう危険性がある。
そこで、考えついた!後ろから見られても平気な方法を。

簡単なことだ、着ている上着を腰に巻いてしまえばオッケーだ。胴回りの部分がお尻を見事にカバーしてくれる。
この方法のおかげで、近くに人がいても躊躇なく用を足せるようになった私。
(慣れって本当にすばらしいですね!)
ラオスにこれから行こうと思っている方は、ぜひ試してみて!

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